投資案件の本物・偽物を見極める方法

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世の中には、数えきれないほどの投資案件が転がっています。

その中で、「本物」に出会う確率はどれくらいでしょうか。

 

恐らく、1割を切ってしまうのではないでしょうか?

ここで言う「本物」とは、世間一般に想定される本物を指しています。

 

世間一般に想定される本物とは、

「ラクして、確実に儲けが出る」

こんな所でしょうか。

 

残念ながら、

そうした視点で投資案件を眺めるために、

自らチャンスを逃しています。

 

そればかりか、

単に「ハズレ」を引き当てます。

 

前提としてまず「本物」は存在しています。

 

本物にアクセスするためには、

無数の「ワナ」をかいくぐり、

一般とは違った常識で行動することが求められます。

 

投資界隈には、

ゴミのようなセールスレター、

怪しいウェブサイト、

騙された体験談が蔓延しています。

 

大半の人はそうしたものを目にすると、

「怪しいし、なんかやめとこう」

となります。

 

騙された人は、延々と騙され続けます。

「カモリスト」が高額で取引されるわけです。

果てには騙され尽くして、ギブアップします。

 

賢い人は、そんなウマい話があるわけがない、

としてハナから眼を向けません。

 

もう、この時点で「一般人」、

フツーの人はアクセスできません。

 

フツーの人には選定眼もなければ、

案件にたどり着くだけの行動力もないし、

不安に耐える忍耐力もないし、

発想、度胸、大胆さ……

とにかく何も持ちあわせていません。

 

彼らが運良く「本物」を引き当てたとしても、

扱い方がわかりません。

 

そしてさらに運よくお金を得たとして、

お金の遣い方がわかりません。

その結果として、利得を失います。

 

全て自らが招いた結果にもかかわらず、

「本物は存在しない」

という結論に至ります。

 

世間のほとんどの人は「フツー」なので、

この時点で必然的に「本物」は1割以下、

という推定が出来てしまいます。

 

そして、

この世に表と裏がないものが存在しないように、

偽物に対して本物が存在しない道理もありません。

 

 

「本物は存在しない」とシャットアウトすることによって、

自らの不足を認めずに済みます。

 

しかしそこでは、

「あるものに対して、ない」というのだから理に適っていません。

 

結果としてやはり、

その人のもとに本物がやってくることはありません。

 

優位性を自ら台無しにする、フツーの人々

このことからもわかるように、

フツーの人の行動は基本的に整合性を欠いています。

それに判断基準を持っていないし、

その獲得のための努力もしません。

 

ですので先に書いた通り、

「彼らにとっての本物」の案件に出会う確率は、

絶望的です。

 

フツーの人が投資案件を探す場合、

インターネットを必死にサーフィンするでしょう。

インターネットはいわばゴミの山のようなものなので、

ゴミの山から宝を探すことになります。

 

フツーの人にとってのそれは、

ダイヤの原石がどんな形状かも知らず、

ゴミの山を漁って探すようなものです。

 

仮に運よく拾ったとしても、

彼らはそれを自ら台無しにします。

 

他のゴミと見分けが付かずまた捨ててしまったり、

加工技術や技術者を見つけられず捨ててしまったり、

相場がわからず安値で手放したりします。

 

これが投資案件であれば、

たった1ヶ月の運用で全てを悟り、

プラスになれば本物だ、マイナスになれば偽物だ、

と言った具合です。

 

少なくとも半年、

下手をすれば一生付き合わねば真贋は不明です。

 

なのに、原石を宝石に変える前に捨ててしまいます。

 

というか本質的には、

投資案件の「真贋の依拠するところ」は、

投資主体である個人次第です。

「選んだ」時点で、責任が発生しています。

真贋を追求する以前に、「自身の姿勢の真贋」が問われています。

  

自身の行動の全責任を引き受ける覚悟は、

短期トレーダーであろうが、事業投資家であろうが、

はたまた経営者であろうが欠かせません。

 

本物だとか偽物だとか以前に、自分はどうなのか

フツーの人はすぐに、誰かや何かのせいにします。

大量のフツーの人が集まっている口コミサイトを見ていると、

それがよくわかります。

 

僕はGoogle mapsでちょくちょくレビューを観察していますが、

(参考にするためではなく、観察です)

スーパーなどで店員さんの悪口を書く人があまりに多く驚きます。

当然、飲食店でも同じです。

料理そのものに対するネガティブ評価より多いかもしれません。

 

もう、この時点で彼らが勝ち組に回ることはないと確信できます。

店員さんの態度が悪かろうがなんだろうが、

その事態に直面した人は、

自身の責任の範囲でその事態を変えることが出来ます。

同様に、受け取り方もコントロールできます。

 

「こんな人もいるんだな」

と思えば、発見としてストックされます。

「機嫌悪いみたいだけど、機嫌よくしてあげられないかな」

と思って行動に移せば、

状況そのものを変化させられる可能性があります。

「店員さんの態度より、自分がどう楽しむのか次第」

という姿勢であれば、

環境も何ももはや関係ありません。

 

自らの責任範囲で、何かしら状況を好転させよう、

という姿勢でいれば、

常にクリエイティブでいられるし、

建設的なアイデアが浮かびやすくなります。

 

そうした人には人が集まりますし、

結果として「必然的に」儲かります

 

しかし彼らは責任を他所に放り投げることで、

あらゆるチャンスを喪失していることに気づきません。

 

こうして見ていくと、本物の案件は、

自らそのなりを潜めている訳ではありません。

潜めなくとも、

行きわたるべきところに行きわたるよう、出来ています。

 

もはや、自然の摂理とも言えるように、

勝手にそうなっています。

 

その構図は、 

「フツーの人」がフツーである限り、

永遠に変わらないでしょう。

 

 

フツーの人が本物に出会うためには、

本物に見合う人間になる必要があります。

 

そうなれば、「見極める」必要さえありません。

 

本物に見合う人には、

見合ったものだけがやって来るからです。