ギャンブルとドラッグ、敗北の快楽

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ドラッグといえば、

覚せい剤やMDMA、コカイン、そしてヘロイン等です。

 

覚せい剤といえば、

戦後間も無くまでは合法だったように、

その薬効が有用なものとして認められていました。

 

 

「覚醒」を冠するだけあって、

服用後、驚異的なパフォーマンスの発揮に寄与します。

反面、その副作用は良く知られるところです。

しかし、万一上手く付き合えるならば、

相当に有用な「お薬」と言えるかもしれません。

 

映画ではヘッジファンド等に勤める人間が、

ドラッグを摂取する姿が頻繁に描かれます。

 

映画「ウルフ・オブ・ウォール・ストリート」では、

コカインがしきりに登場した記憶があります。

コカインにも強烈な瞬間覚醒作用があり、

またその依存性も強烈なものです。

 

高価かつその依存性ゆえに、

富豪のドラッグとも言われます。

 

雇用下のトレーダーやセールスマンは職務の特性上、

野に放たれた動物と似たところがあるので、

常に極度の緊張・興奮状態にあるのかもしれません。

そのため、ドラッグの活用に至るのかもしれません。

 

 

殆どのドラッグには、中毒性があります。

一般に、効果が強烈であるほどに中毒性も増します。

中でもヘロインはその快楽が至上のものであるために、

帰らぬ人となる人も多数います。

 

ギャンブルは、まさにドラッグです。

扱い方で強力な武器に変わり得る一方、

上手く扱える人はそういません。

 

負け組がギャンブルにハマる理由は、

ドラッグによく似た所がある気がしています。

多くのギャンブルは、

ペイアウト率2倍以上を提供しています。

 

2倍以上のペイアウトに資金の30%でも張れば、

資金は爆増します。

その瞬間、いわゆる「脳汁」が放出されます。

ドーパミンです。

 

ギャンブルによって、

脳の報酬系に変化が起こるそうです。 

滅多なことでドーパミン放出が起こらなくなり、

快楽を求めて刺激的なギャンブルに誘われ続けます。

たった一度の成功体験が、強烈な依存性を生みます。

 

言うまでもなく、

ギャンブルは必ず負けるように出来ています。

ギャンブルをするなら、

数回の勝負で勝ち逃げする他ありません。

 

しかし理屈で負けるとわかっていても、

ギャンブラーはやめません。

脳の報酬系が壊れてしまっているためです。

 

ぼくが思うに、

負けてお金を失うことそのものに、

快楽がある気がしています。

この存在の認知は、

非常に重要である気がしています。

 

破産後に勝ち組入りするトレーダーは非常に多いですが、

負けに負けまくる経験がなければ、

なぜ負けるのか?にはなかなか考え及びません。

 

ぼくの場合、

行動経済学に基づくワークなども行いましたが、

知識として蓄えられはするものの、

効果としては現れませんでした。

 

結局、それらは知識に過ぎず、

逆に最も重要な「内面を見つめる」ことから、

遠ざかる要因になっていました。

  

ぼくは負けに負けまくった結果、

この敗北の快楽を認知しました。

そしてこの快楽を求めていたことを、

はっきりと自覚しました。

 

漫画「カイジ」で敗北が決した瞬間、

「ぐにゃあ〜」と顔が歪み、

「ポロポロ」と涙を零すシーンなんかは秀逸な描写です。

 

同じ経験があるので、すごく良くわかります。

ギャンブラーで、あの心境が理解出来ない人はいないでしょう。

 

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負けた後には、ある種の爽快感や、

自己否定による快感が残ります。

自己否定の快感は、

自分をダメ人間だと罵ったり、

果ては肉体的な自傷行為にまで至ります。

 

人間には、

性への欲望(エロス)だけでなく、

死に向かう欲望(タナトス)が宿っているといいます。

 

敗北の快楽とは、

死に向かう欲望に駆り立てられ、

自傷そのものが快楽

=目的と化してしまっている、

その可能性があると言うことです。

 

理屈で勝てないとわかっていても繰り返すのだから、

勝ち目を追っている訳ではありません。

自分だけは勝てると思い込み、

勝負のギリギリの愉しみを追っている訳でもありません。

はじめから勝ち目はないとわかっています。

 

生きることは労苦の連続とも言えますから、

死を覗くことは一種の安堵でもあるかもしれません。

人間が下せる中で、

最も決定的で、絶対的な決断が自死です。

その絶対性に、酔う可能性もあります。

 

個人的な体験に過ぎませんが、

ぼくにとってこの敗北の快楽の認知は、

大きな発見でした。

 

今自分が何に駆り立てられいるのか、

その認識が勝敗を分かつことは、

非常に多くありました。

 

少なくともギャンブルばかりやっていた時は、

死に向かっていたと今ははっきりと思います。

 

そして、勝ち続けることは意外と地味で、

退屈なものです。

それを直感していたからこそ、

むしろ勝ちを避け、

負けを求めていたのかもしれません。

 

負けを求め、

その対価として賭け金を差し出し、

負けを買っていたとも言えます。

 

その認識の上で、

今はギャンブル(というより一般的にギャンブル的とされる手法)を、

有効な武器として利用しています。

ひとたび快楽に飲まれれば終わりなので、

諸刃の剣です。

 

しかし、

使いこなすことは不可能ではありません。

ここでもやはり、

自分が何を求めているのか?

その自覚が最も重要になります。

 

それさえあれば、

一般的にダメと言われているものも、

有用と見做すことが出来ます。

 

むしろ、そうしたものにこそ、

最大の利が眠っている場合が多いはずです。

 

 

あ、

でも違法ドラッグは一応ダメということで!

違法なので……一応。