所得を低下させる「恐怖」の認識と自覚

 

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あなたがお金を欲する理由はなんでしょうか。

 

具体的な理由は置いておいて、

「欲望/恐怖」

どちらにもとづいて、お金を欲しているのでしょうか。

 

僕が思うに、

心から欲望にもとづいてお金を欲している人は、

驚くほど少ないのではないかと思います。

 

 

お金が欲しいと思っている人がほとんどと思いますが、

実際のところ、

「恐怖ゆえに、お金を欲している」

のではないでしょうか。

 

 

今年は老後資金問題に世間が沸きました。

資産運用について、各々で考えなければならない、

と多くの人々が気付き始めました。

 

実際に、iDeCoやNISAの口座開設数はかなりの上昇率を見せています。

それだけ大衆が「老後資金問題」という恐怖に煽られて、行動した結果です。

 

こうした問題以前に、投資に手をつけた人もたくさんいます。

僕の大学時代の友人に株式投資や投資信託を行なっている人は少なくないですが、

みな口を揃えて「そこそこでいい」と言います。

 

そして彼らは実際に「そこそこ」の結果を得ているようです。

それは恐らく、プラスマイナスゼロの地平に限りなく近いか、

マイナス圏に片足を突っ込んでいる状況なのだろうと想像します。

 

「そこそこ」を所望する人は証券会社に手数料を献上し続ける顧客なので、

生かさず殺さずが最も利益的です。

 

少し欲深い友人は、FXに手をつけています。

当然、負け越しています。

彼もほかの友人と同様に「そこそこ稼げれば」と言います。

生半可なら今のうちに辞めた方がいいと伝えても、辞めません。

彼は恐らくそう遠くないうちに、資金の大半を溶かすことになるはずです。

 

この「そこそこでいい」と言う欲望の在り方には、

二つの恐怖が潜んでいるはずです。

 

一つは、「変化への恐れ」です。

 

人は変化を恐れる生き物ですし、現状維持を強く好みます。

本能に忠実であるほどに、この傾向は顕著に現れます。

利益を得ようと、損失を被ろうと、

現状から変化しないのであればどちらでも構わない、

というのが本音、という人は実は多いはずです。

 

このケースは利得、損失に関わらず、

単にその刺激を喜んでいるパターンです。

また、運良く手に入った利益は消費に回してしまうので、

いつまで経っても資産曲線が上向きません。

結果として、「そこそこでいい」を実現しながらも、

漠然とたくさんお金があればと言う不足感を抱えながら生活します。

 

本当に「そこそこでいい」のなら何の不満も不安もないはずですが、

口を開けばもっと○○なら、将来が不安だとか言います。

結局はお金を稼ぐために必要な労力を放棄したい、

という宣言でもありますし、

自らその欲望にフタをしています。

結果としてこの恐怖は、稼ぐことそのものへの恐怖に連鎖します。

 

二つめは「刷り込まれた恐怖」です。

 

日本において、お金に対する恐怖はいわばねつ造された感覚です。

先の老後資金問題しかり、恐怖を煽ることで内需を喚起し、

いわば身内での収奪を繰り返しているのが日本社会の一端です。

 

お金がないと不安だよね、

お金がないと社会的に立場がなくなるよね、

お金がないと〇〇だよね、

という風にこれでもかと恐怖を煽り立てます。

 

そのソリューションとして、

資産運用のステージに入った世代に対して、

投資信託や保険等の提示が成されるわけですが、

面白いのがその広告イメージです。

投資信託や保険等の「硬め」の金融商品は、

それがいかにスマートな選択であるか、

というイメージを謳います。

投資信託や保険を選ぶあなたは賢い、家族想い、とかなり直裁です。

 

しかしどちらも、人間の恐怖に根ざした商品です。

要は「恐怖に対して安心を売って」います。

その付加価値として、スマートな選択、家族想い、

と言ったイメージがついてきます。

 

テレビを見てもカネの話題ばかりです。

そしてCMも大半が恐怖に対して訴求するものばかりです。

最近ではニオイをマスク(覆い隠す)する商品がとても人気ですが、

あれはわかりやすく人間の恐怖に対し訴求します。

「クサいけど、大丈夫?いい香りで覆い隠しましょう」

といった具合です。

 

市場規模の拡大と成熟で香りそのもので訴求する製品も増えましたが、

雑菌と入り混じったその芳香は僕からすると大変な悪臭で、

一部では香害とさえ言われています。

その逆に香水は香りを愉しむもので、調香師の作品でもあります。

同じ香りのプロダクトでも、全く指向が違います。

 

例を挙げるとキリがありませんが、

一般消費者向けの商品は「恐怖」に対して訴求するものがほとんどです。

ラグジュアリービジネスと比較すれば、

いかに指向が違うかがよくわかります。

 

もっと言えば、

「安いよ安いよ」

という訴求方法も恐怖に対しての訴求に他なりません。

安く手に入るのならお得、と言ってつい手を伸ばす人が多くいます。

お金を失いたくはないけれど、

「価値は消費したい」と漠然と思っているからです。

 

日本人は遺伝的に世界一恐怖心を抱きやすい民族

という話を聞いたことがあります。

それが真であるならば、

恐怖に対して訴求する方法が最も有効かつ、

巨大なマーケットを形成することに疑いはありません。

恐怖に対して反応しやすいのなら、

その恐怖をつくりだせば、商品は売れるようになります。

とても単純です。

 

この二つの恐怖によって、

恐怖に支配された人は自らの欲望にフタを閉めることになります。

 

 

こうして恐怖に支配された人が増えれば増えるほど、

彼らは「それが普通である」ということを決して疑わなくなり

またその中でいかに自分がスマートであるかを誇ろうとします。

そしてその輪から離れようとするものを全力で引き留めます。

もしくは、リスクを取って失敗した人間を愚かだと笑います。

 

人が人として、自分の欲求を最大限実現することを引き留める、

その姿はまるでゾンビの群れのようです。

 

実際のところ、日本ではお金がなくても食うには困りません。

生活保護という選択肢もありますし、これも友人の話ですが、

友人とルームシェアをしながら無職生活を満喫する人もいます。

家賃、生活費は友人持ちです。

 

もちろん、こうした事例には個人のタレントが必須となってきますし、

巡り合わせの運がなければ実現できません。

対照的に考えると、お金は最大公約数的な問題解決策の一つです。

お金は全ての人が認めている価値の交換媒体なので、

それを遣えば誰でもカンタンに問題解決ができます。

 

しかし、

「恐怖から解放されるためにお金を欲する」のであれば、

それは自ら最大公約数で満足する人間であることを、

宣言していることに他なりません。

 

つまり、

率先して「自分はフツーの人間である」ということを自己洗脳している、

ということに他なりません。

 

この自己洗脳によって、

人は飛躍することを諦め、現状維持を至上命題に据え始めます。

 

そもそも、

問題も恐怖もその大半は誰かによって植え付けられたものであり、

問題は思い込みに過ぎないものです。

 

植え付けられた恐怖は非常に根深い問題です。

この問題はありとあらゆる意思決定において、顔を出します。

 


一体なぜ自分がお金を欲しているのかをよく考えてみて下さい。

それが恐怖にもとづくものであるならば、

資産推移はこれからも横這いを続けるはずです。

 

そしてどれだけ資産が殖えようと、

お金に関する悩みが解消されることもまた、

永遠にありません。

 

 


 

 

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